「方丈記私記」 堀田善衛

評論

堀田善衛さんの著作を読み続けている。「方丈記私記」は何度か読もうとして読まずにいた。本書は東京大空襲の記述から始まっている。東京大空襲のなかで著者は「方丈記」の一節を思い出す。1945年3月10日の東京大空襲から、3月24日に上海へ出発するまで著者は集中して「方丈記」を読んで過ごし、暗誦できるようになったという。それではなぜ「方丈記」を読み続けたのか。著者は次のように述べている。

 それは、やはり戦争そのものであり、また戦禍に遭逢してのわれわれ日本人民の処し方、精神的、内面的な処し方についての考察に、何か根源的に資してくれるものがここにある。またその処し方を解き明かすためのよすがとなるものがある、大風、火災、飢え、地震などの災殃の描写が、実に、読む方としては凄然とさせられるほどの的確さをそなえていることに深くうたれるからでもあった。またさらにもう一つ、この戦禍の先の方にある筈のもの、前章及び前々章にしるした新たなる日本についての期待の感及びそのようなものは多分ありえないのではないかという絶望の感、そのような、いわば政治的、社会的転変についても示唆してくれるものがあるように思ったからでもあった。政治的、社会的転変についての示唆とは、つまり一つの歴史感覚、歴史観ということでもある。

「方丈記」は大学受験のときに読んだことがある。「方丈記」は短い作品なので読み通せたと思う。「方丈記」は受験のとき読んだ印象がずっと残っていて、冒頭の有名な「ゆくかわの・・」から鴨長明は無常を達観したひとかと思っていた。本書を読んで鴨長明に対するイメージが変わった。鴨長明は多芸のひとで、管弦器にも熟達し、秘曲を弾いてスキャンダルを起こす。秘曲を人前で演奏することは当時大罪だったらしく、鴨長明は後鳥羽院に苦しい弁解をしている。和歌のほうも和歌所の13人のひとりに選ばれている。といっても千載和歌集に一首だけ選ばれている。鴨長明は地震や大火があると現地へ行き、自分の目で確認する。新しい都ができるとさしたる用もないのにわざわざ赴く。出家したのにもかかわらず、仏教もまたどうでもよいものにしている。著者によれば、鴨長明は六十になってもトゲののこる人だった。

 私は思うのだが、あの当時にあって、かくまでのウラミツラミ、居直り、ひらきなおり、ふてくされ、厭味を、これまた大ッピラに書いた人というのもの、長明の他にはまったくいなかったのではなかろうか、と。少なくとも私は他に例を知らない。これがもし長明の「私」であるとすれば、そうしてそれは彼が自ら書いている通りに、それが六十歳になっての彼の「私」なのであったが、もう一度くりかえすとして、これが彼においての「私」であったとすれば、無常とはいったい何であったか?好き放題の言いたい放題と言えぬこともないであろう。要するにおそろしく生ぐさいのである。出家しようが、山中に籠もろうが、生きた人間が生ぐさくない筈はないのである。
 そうとすれば、この生ぐささがどこから、如何なる理由によってかくまでに、いわば率直に発揮されえたものであったろうか。
 それは、世を捨てたからだ、というのが私の答えであり、世を捨てたればこそ仏道に対してさえも文句をつけることが出来たのである。仏道もまた「世」であったのである。そういう異様な弁証法がこの「私」の背後にあると思われる。そうしてこの弁証法がまた、彼の「私」を成立させている。それは朝廷一家の閉鎖文化、現実遮断文化、本歌取りによる伝統憧憬、あるいは伝統志向による文化の範囲を完全に突き抜けている。

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