「定家明月記私抄続編」 堀田善衛

評論

本書は「定家明月記私抄」の続編で、定家50歳から80歳の死までを取り上げている。この時期における大事件としては承久の乱がある。しかしながら、承久の乱の前後にあたる時期-定家59歳から63歳まで-の「明月記」は欠如している。続編で一番面白かったのが承久の乱のところで、「明月記」がなぜ書かれなかったかは本書を読んでもわからなかった。もしこの時期に定家が日記を書き継いでいたとしてもそれほど面白いことは書かなかったのではないかと思う。

承久の乱が起こった時期、定家は後鳥羽院の勅勘によって謹慎させられていた。後鳥羽院と定家の関係が、政治と文学を巡って離れていく。武士の台頭により、後鳥羽院は政治と軍事における天皇制の権威が失われていく危機感があった。定家にとって軍事的な事柄は一切関係なく、和歌を社交と儀礼の範囲における宮廷文化とみなす。

 古代天皇制というものが、武家の台頭によって終焉を告げると同時に、文化も武も、宮廷を去るのである。かくて文化も武ももたなくなった天皇制は、その存続の理由を何処に求むべきか。
 後鳥羽院は、その双方を一挙に恢復すべきことを目指して、逆に、その双方ともを一挙に破壊してしまうであろう。
 しかし、和歌にしても何にしても、人民の間から芸能を吸い上げて、これを洗練し、また外国からの輸入文化をこれに加える場としての宮廷を失ったとき、文化は何処にその場を求むべきか。
 歌の場としての宮廷が潰滅すればするほど、定家の権威はより高いものになって行くであろう。いまでは後鳥羽院の歌などを読む人は、おそらく稀な人、ということになるであろう。

「定家明月記私抄」・「定家明月記私抄続編」の2冊を読んで感じたのは、国文学の専門外の管理人が「明月記」を読んでも面白いものではないということだった。「明月記」は客観的な日記のため、天文学や地震の記録として取り上げられることが多い。承久の乱後の京都の荒廃の様子にもリアリティがあり、盗賊が跋扈し火事が頻々に起こる京の姿が今の時代でも想像できる。晩年の定家は、歌を作ることはすくなくなったが、世の中への興味は失わなかった。好奇心が長生きの秘訣なのかも。

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