三島由紀夫 悲劇への欲動

評論

管理人は三島由紀夫の良い読者といわけではないけれども、あの自決のことはいつまでも忘れないと思う。当時、新聞に三島由紀夫の頭がゴロンと落ちている写真を見た記憶があった。どうしてあんな写真の掲載が許可されたのだろうと後になった不思議に思った。何かの本で最初自決現場の写真が掲載されたが、後の版で差し替えられてたと書いてあり腑に落ちた。子供には何故自決したのかという疑問は全くうかばずただただ『切腹』にびっくりしていた。

大人になってから『薔薇刑』を写真展で観たとき、何故こんな撮影をしたのか理解できなかった。大学生の頃、指導教官が『豊穣の海』を読んでいて意外に思った。指導教官に「40過ぎたら読めるようになるよ」といわれたがまだ読む気にならない。本書は「前意味論的欲動」をキーワードに、それがどのように作品や行動に結びついたのかを著者は解明する。正直「前意味論的欲動」という言葉の意味が本書を読み終わってもはっきりしなかった。

悲劇的指向は結局自殺することでしか完結することがない。晩年の三島由紀夫は、天皇制や自衛隊について積極的に発言し、私兵組織「楯の会」を発足させている。三島由紀夫は国際反戦デーの内戦状態に乗じて皇居突入のクーデターを計画していたが、デモ隊が機動隊の圧倒的な力の前に内戦状態になることがなく、自衛隊の治安出動も予想されず計画を中止した。1970年11月25日、三島由紀夫は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地へ車で向かう。向かう途中車内で「唐獅子牡丹」を唱和していたそうだ。三島由紀夫は自衛隊員へ蹶起を促したが、呼応するものはいなかった。自衛隊員がクーデターを起こすことがないのは初めからわかっていての行動だった。それでは何故自決したのか。管理人にはその理由がやはりよくわからなかった。

 「身を挺する」「悲劇的なもの」たらんとする欲動のために、三島由紀夫の一生は生き辛いものだったろうと想像する。誰もが前意味論的欲動を持ち、そこに自己の安定を見る人もいれば、生き辛さを抱え込む人もいる。後者の人にとっては、三島由紀夫の生涯とその作品は、生き辛さを共有することで、共有したことの実感が生きる指針になるかもしれない。
 三島の自決は憤死の悲劇で、悲劇であるゆえに、彼の生涯においてただ一度だけの本当の満足を齎した行為だったと思う。生き辛さを抱えながら、遂にその満足体験を実現したのは、傍から見る者にも、長い年月を隔てると喜ばしいことだったように思える。本書は、そういう人のそういう満足体験の過程に寄り添おうとして書いたものである。猛獣に寄り添うことなど容易にはできないが、猛獣は猛獣であるというだけで、私の目を楽しませてくれる。徹底して違うなどということは考えない。縮こまろうとする私の気持ちを、膨らませてくれるところがある。それによく見ると、愛らしいところもあり、何より飽きることがない。

著者 : 佐藤秀明
出版社 : 岩波書店
発売日 : 2020/10/20
新書 : 270頁(岩波新書)
定価 : 本体 860円+税

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